ウエストンの社史に学生運動のエピソードが加筆されていますね。ネタ元はOPENERSなのかな?

「1966年にはみんながウエストンのモカシンを履いていた」という伝説を生み出したフランスの名門シューズブランド、J.M.ウエストン。当時の社会体制に反抗した若者たちが、ジーンズ姿で素足に父親のローファーを履いて、パリ・シャンゼリゼのドラッグストアにたむろするようになったことがきっかけで大流行。さらに1968年にパリで起きた学生運動の時も、警官と衝突する多くの学生たちは、J.M.ウエストンのローファー「モデル180」を履いていました。学生たちのシンボルとなったその靴は、今も人気が衰えることなく、時代を超えて世界中の男性たちの憧れの存在です。

10年以上つきあえる 「J.M.ウエストン」の伝説のローファー (2015年7月15日) | 朝日新聞デジタル&M


大統領や政治家から、レジスタンスな若者までが愛した靴

「1966年にはみんながウエストンの“モカシン”を履いていた」という伝説が残るJ.M. Westonの「180 ローファー」。シャンゼリゼのドラッグストアにたむろする反抗的な若者たちは、父親の靴を“ジーンズ姿に素足でローファーを履く”ことで、既存の社会的規範に反抗した。さらに1968年にパリで起きた学生運動のさいには、そのローファーは学生たちのシンボルとなった。

フランス生まれの美しい靴「J.M. Weston」の歴史とあたらしい世界 (2010年10月4日) | OPENERS

1962年 ローファー:歩く伝説

シャンゼリゼ大通りのドラッグストアにたむろする「Bande du Drugstore ドラッグストアのダンディ」と呼ばれる若者達はこぞってジェイエムウエストンのローファーを履いていました。父親の靴をはだしでジーンズに合わせて履くことで既存の秩序に対しての反抗を表現しました。やがてこのスタイルは伝説となりローファーは彼らのマストアイテムとなっていきました。

“1966年には皆がウエストンの「モックス」を履いていた。ドラックストアにたむろする反抗的な若者たちが始めた大流行があるとしたら、これだ。”
   — フランソワ・アルマネ, 好きと言えるまでの恋愛猶予 — ローファーのこと

歴史 | J.M. Weston


 靴史的にはクラークスのエピソードのはずなんだがなあ。ネイサン・クラークは学生がデザートブーツを履いているのをテレビで見て歓喜したそうです。

1947年、シカゴの靴展示会で彼のデザインがウケた。さらにエスクワイアマガジンが取り上げてクラークスの“デザートブーツ”が流行した。50年代から60年代にかけて若者のファッションとして定着し、1968年のパリの5月革命ではバリケードの学生達がみんな履いていた。以来1,200万足を売るヒットとなり、無数の類似商品を生み出した。

デザートブーツを“発明”した男 | cotoba


It took another 15 years for the boots to make it to Europe, but they arrived in time for the student unrest of 1968. Clark recalled with satisfaction seeing television footage from Paris “where the students manning the barricades were all wearing Desert Boots”.

Nathan Clark | Telegraph


They were featured in Esquire magazine and suddenly Street had dollar- earning staples. Exported to western Europe, they became part of the young male uniform of the 1950s and 1960s: Clark was delighted to see on news footage that Parisian students in desert boots manned the barricades of May 68.

Nathan Clark obituary | Guardian






「Bande du Drugstore ドラッグストアのダンディ」を調べてみた。

 高級住宅街の16区に住み、16区の名門高校リセ・ジャンソン・ド・サイイに通う金持ちの子女のチーマーってところか。

・・・夜は「ドラッグストア族」(La bande du Drugstore)となって遊びまくります。このラ・バンド・デュ・ドラッグストアとは、シャンゼリゼに出来た当時としては画期的な24時間営業のマルチストア(薬、食品、本、レコード、カフェ...)だったドラッグストアという店にたむろする若者たちの一団で、主に高級住宅街16区から出て来る金持ちの子女たちが、ビシっと決めたファッションで不良遊びをし、盆百の若い衆がイエイエなんぞを聞いている時に、この連中はモッズなロックンロールとStax系のリズム&ブルースを輸入盤で聞いていたのです。そしてセックスですね。性の解放なんてまだまだ遠い先だったド・ゴール時代のフランスで、この若者男女は7区や16区や17区の高級アパルトマンで毎週末開かれるプライベートパーティーでご乱行の限りを尽くしていたのです。・・・
 なお、2002年に映画"La Bande du Drugstore"(日本公開タイトルが『好きと言えるまでの恋愛猶予』。恥ずかしいなあ)というのがあって、60年代ドラッグストア族をファッション青春もので描いてましたが、実在したドラッグストア族とはかけ離れているので、参考にはなりません。・・・

パンクの祖と長時間話した | カストール爺の生活と意見

クルセル通りにあるシューメイカーの伝説に、モデル“180”にまつわる変わった話がある。1968年5月の騒乱よりしばらく前のこと、シャンゼリゼ通りにあるドラッグストアの前で、16区のブルジョワジーの“Nappys"(*1)と呼ばれている若者たちが、レイバン、リーバイス、裕福な彼らが通う高校名にちなんで“Janson-de-Sailly”という愛称で知られたウエストンの“180” “mocs”によるパーフェクトなファッションで馬鹿騒ぎしていた。ウエストンの“180”はシャンゼリゼのドラッグストア族として今日知られている若者たちによって強く民主化された。ちなみに、ピュブリシス・ドラッグストアという名で今も営業している。

180 Moccasin, the Cultural Essence of J.M. Weston | Icon-Icon
Le Mocassin 180, l’Essence Culturelle J.M. Weston | Icon-Icon

(*1) Neuilly-Auteuil-Pereire-Passyの略語。

ホストファミリー曰く、パリ西部は上品な地区らしい。
なぜ西部かというと昔工場の煙突からでる汚染物質が西から東へと流れていっていたため、それを避けるようにその工場地帯の西側にお金持ちが住み始めたのがきっかけとか。
ヨーロッパでは、この法則がよくあるそうな。
そしてそのパリ西部に住む人々をNeuilly Auteuil Passyの頭文字をとってNAP(ナップ)という。

スタージュとブーケ|fleuriste あんじゅばん


パリの高級住宅街がある16区の地区名です。Passyと書きます。その16区にAuteuil(オトイユ)という地区が、パリ16区の一つ外側にNeuilly-sur-Saine(ニュイイと呼ばれます)という場所があり。いずれも、高級住宅街として有名です。そのひとつが、Passyです。
この高級住宅街のどらむすこの生活をテーマにした曲、Auteuil,Neuilly,Passyというラップ曲が、20年ほど前でしょうかles inconnusというグループによって歌われています。ご興味がおありなら、ユーチューブで検索してみてはいかがでしょうか^^ 歌詞がとっても、お金持ちのボンボンの生活を皮肉っていて面白いですよ。

フランス語でパッシーって言うのがあるんですけど、どういう意味ですか? | Yahoo!知恵袋


もう何年も前になるが、高級住宅地に住むブルジョワな人達をコケにしたギャグソング(Auteuil, Neuilly, Passy)をヒットさせたDidier Bourdonがまた面白い歌を出し、ヒットチャートに登場している。

何もいえない世の中 | フランスって


3人のコメディアンからなるトリオ「Les Inconnus」(無名人たち、の意)。
80年代半ばから90年代にかけてのフランスで一世を風靡したんだそう。・・・
「Auteuil, Neuilly, Passy」
上流階級を強烈に皮肉ったミュージッククリップ。
シックな界隈に住むリッチなBCBGなおぼっちゃまに
「こんな街に生きるのもラクじゃない、こんなふうさボクたちのゲットー」と歌わせるアイロニー。
決まりきった恵まれた生き方をなぞるばかり、そこのシステムから抜け出せないゲットー、というのが可笑しい!

「コメディな日々」 | せ・し・ぼん*さちぼん

Auteuil, Neuilly, Passy lyrics (English translation)