みきさんより情報提供頂きました。

 さて、その原皮価格も、先月あたりから状況が変わってきております。
 元々原皮相場は、圧倒的な購買量の中国によって左右されるのですが、どうも契約残の引取を渋り始めた様で。
 去年の10月頃には110ドルまで上昇していた物も、今週は60ドル台まで下がっているなど、先行きは不透明です。
 只、上海株式の乱高下は、中国公安の言うところの「先物取引による不正な相場操縦で株式市場の急落」だけでは無さそうな気がします。

ヨーロッパの原皮事情


 Horweenが買っていて、一番上質とされるHeavy native steersの価格。7月分のデータはまだ反映されていませんが、リーマンショック時は別にして、暴落中ですねえ。値上げしたタンナー、卸、小売店は、半年後くらいには値下げするでしょうか?
Hides Monthly Price - US cents per Pound

Hides - Monthly Price (2010年6月〜2015年6月の過去5年分)

Hides   Monthly Price

Hides - Monthly Price (1985年6月〜2015年6月の過去30年分)


 ところで、上のグラフの縦軸は US cents per Pound(0.01USドル/0.45kg)で、意味が分からなかったのですが、下のグラフと見比べるに、どうやら USドル/枚 と読み替えても良いようです。
heavynativesteers

Don Ohsman’s view from the US | Leather International


 多少関係あるのかなー?と、思い出した記事。左側はオーストラリアのラムスキンの価格、右側はニュージーランドのラムスキンの中国への輸出額のグラフ。2014年の話です。

Sheep Farmers Take Hit as Demand for Hides Falls (2015年1月11日) | Wall Street Journal

Australia and New Zealand

 中国のタンナーは特にロシアからのラム革製品の需要低下に直面しており、また、中国政府が化学薬品をたくさん使う工場を厳しく取り締まっていることもあって、オーストラリアとニュージーランドの畜産家はラムスキンを売るのに苦労している。

 オーストラリアではラムスキンの価格が85%近く下がった。ニュージーランドの羊の畜産家にも直撃しており、最大で40%下がっている。

 中国政府は、空気、土、水の質を政府に訴える中流階級が急に増え、プレッシャーの高まりを感じており、2014年5月、汚染の元になっていると思われるタンナー等の工場を規制し始めた。特に小規模の工場を対象にした。

−以下超要約−

 河北省辛集市にあるタンナーの経営者によると、中国のタンナーが不景気なのは、主要取引先であるロシアのルーブル暴落、ウクライナ問題での米欧によるロシア製品輸入禁止措置、中国の住宅市場の失速(レザー家具の需要減)によるとのこと。また、彼の概算だが、景気後退の2割くらいは環境基準強化によるものだろう、と。彼の会社は廃水浄化設備に242万ドル使ったのだが、規制強化によって小規模のタンナーは廃業するほかなく、最終的に彼のような大企業が得すると踏んでいるから。小規模のタンナーは規制の監視の目をかいくぐって、廃水処理のルールを破っていたが、「もうできないだろう」と。・・・

 河南省にあるタンナーの経営者によると、ロシアからの需要減によって、2014年のラムスキンの売上は50〜60%減ったとのこと。・・・

 中国の景気後退の影響がニュージーランドとオーストラリアにまで伝わっている。・・・中国はシープ・ラムスキンの最大輸入国であり、世界中に輸出された全てのシープ・ラムスキンの約74%を輸入している。・・・

 中国政府は新しい環境ガイドラインを満たさないと見られる工場を広く一掃する一環として、タンナーの取り締まりを突然始めた。ニュージーランドの肉処理工場の経営者によると、小規模同士のタンナーが合併することで、取り締まりの対象から逃れている場合もある、と。・・・

 辛集市にあったタンナーのとある経営者は、「率直に言って、本当に環境汚染をやっていた」と。彼は8年間小さいタンナーを経営していたが、需要低下と厳しくなった環境規制のために、2014年始めに廃業し、他省に引っ越して、レストランを開いた。


 中国共産党の2015年のテーマは、1に国防、2に反腐敗、3に環境、だそうで。

全人代記者会見(1) 国防予算の増幅は約10%に (2015年3月5日) | 人民日報

全人代記者会見(2) 根治を可能とする反腐敗制度建設へ (2015年3月5日) | 人民日報

全人代記者会見(3) 新たな環境保護法、汚染には「ゼロ容認」 (2015年3月5日) | 人民日報

・・・中国は超高速で工業化を成し遂げると同時に、超高速で環境資源を食いつぶしてきた。環境問題はすでに、人々の最大の関心事となり、党中央と国務院もこれを非常に重視している。全国人民代表大会常務委員会は4回の審議を通じて、新たな環境保護法を打ち出した。この環境保護法は「史上最も厳しい環境保護法」と呼ばれ、汚染の「ゼロ容認」の方針を取る、厳格な懲罰措置を持った法律である。
 例えば違法企業に対しては日数計算で罰を加えたり、閉鎖や差し押さえの措置を取ったりすることができる。さらに生産の制限や停止、行政拘留を命じたり、監督管理に落ち度があった行政職員の責任を追及したりすることもできる。・・・


史上最厳格の中国「新環境保護法」 来年1月1日に施行 (2014年4月25日) | 人民日報

・・・高氏はまた、「新環境保護法では、政府責任が強化されて『監督管理』レベルにまで拡大された。汚染対策事業の実績も、地方公務員の評価指標の一つに組み入れられる。つまり、政府の責任範囲が、全面的かつ多元的で奥行きの深いものとなった」と指摘した。
 このほか、新環境保護法には、環境保護普及活動の強化、環境保護に対する国民の意識向上、告発者の保護、環境公益訴訟の主体範囲の拡大、などの内容が新たに加わった。・・・

中国建国史上最悪の環境汚染――環境保護大臣、厳罰を表明 (遠藤誉) (2015年3月9日) | 個人 - Yahoo!ニュース

◆環境汚染の元凶は賄賂(わいろ)という腐敗
 なぜ中国の環境汚染がここまでひどくなったかというと、その元凶は党幹部の腐敗にある。
 たとえばある工場の設置申請の場合をとってみよう。
 企業側は、工場設置に当たり「営業許可証」なるものをもらわなければならない。これまでは営業許可を下ろす際には、必ず既定の「環境基準」を満たしていなければならなかった。
 ところが環境基準を満たして工場を設置するには膨大なコストがかかる。設置した後の環境保護のためにかかるコストも尋常ではない。
 そこで、賄賂がものを言う。・・・
 しかも許認可には何段階もあるので、その段階を踏むごとに賄賂を渡さなければならないから、環境保護のためのコストとほぼ変わらないと思うが、環境保護のためには、設備に対する初期投資だけでなく、それを維持するための費用が掛かるので利潤が少なくなるため、やはり賄賂を渡してしまった方が早い。その後も何かと便宜を図ってくれる。
 ここに巨大な腐敗の温床があり、それが改革開放後30数年間も続いてきたので、中国は歴史上最悪の、「もうこのままでは誰も生きていけない」程度まで環境が悪化してしまった。
 そこで、中国政府は、この許認可制度を撤廃して、環境保護部に処罰権を与え、反則した企業やその責任者には厳しい処罰を与えることにしたのである。・・・

・・・2月23日付の本コラム「第二の中央が習近平を窮地に――公安閥が残した終わりなき災禍」でも書いたように、何と言っても司法や公安、検察が関係党幹部と癒着しマフィア化していたような地方政府において、法の執行がどこまで実行できるのか、少々疑問だ。
 一党支配体制という根本的構造改革を行わない限り、腐敗を撲滅できるような真の構造改革はできないのではないかと懸念する。
 それでも新常態(ニューノーマル)化により、「経済成長の量から質への転換」を図り、GDP成長率を7%にまで落としてでも、環境保護に対するコストをかけさせる決意だけは本気のようだ。
 そうしなければ、一党支配体制も崩壊してしまうのだから。その「待ったなし」の緊迫感が、この記者会見からは見えてくる。

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 裏が取れるまでは。

From Peasantry To Palm Beach: The Story Of The Bass Weejun | Ivy Style

・・・19世紀、英国のスポーツマン(遊漁者)がサーモンを釣りにノルウェーに押し寄せ始めた。ノルウェーのビスポークシューメイカー J.P. Myhre によると(*1)、特に人気の行き先はソグネ・フィヨルドの支流のアウルラン・フィヨルドで、20世紀になるまでには、英国から来た「サーモン卿」たちは、Teserという名の現地で作られたスリッポンを履き始めた。

Aurlandssko

Aurlandssko(slip-on shoeのノルウェー語), 1945〜1960年頃 | National Library of Norway

 Esquireの関係者らは、このノルウェーの農民の靴をヨーロッパのリゾート地で初めて見て、続いて1935年末から1936年始にかけての避寒シーズンのパームビーチで見た。パームビーチで見た靴は、ロンドンの店で買われた本物のノルウェーの靴だった(*2)。当時、この靴(のコピー)を作る会社はアメリカにはなかった。

 Weejunsの由来の正確な話は今も少々曖昧だが、Esquireが1935年にこの靴を見たことははっきりしている。Esquireは恐らくこの靴のポテンシャルを直感し、紳士服店Rogers PeetはEsquire とコラボして、まだ製造されてもいない靴を販売することに同意した。EsquireとRogers PeetはBassに製造を依頼した。

 Bass社創業75周年にあたる1951年に、The Lewiston Daily Sun誌がJohn R. Bass氏をインタビューした記事(*3)が無ければ、EsquireとRogers Peetの関係は完全に忘れ去られたであろう(*4)。その記事の「EsquireとRogers PeetがBassに話を持ちかけ、Weejunsを作れるかどうか尋ねた」というリード文に対し、John Bass氏は「ポートランドでEsquireの関係者と会い、そのプロジェクトを話し合った」と述べている。

 今にして思えば、Bassはモカシンタイプの靴のパイオニアだったのだから、Weejun製造に最適だったのだろうが、John Bass氏はWeejunの展望に楽観していなく、「私が懐疑的だったことは認めます」と詳しく語った。彼は何を問題にしていたのだろうか? 「この種の靴は売れないと思った。というのも、ハウススリッパを外履きにするように見えたからだが、製造には同意した」と。

 Bassは2つの問題に直面した。1つめはモノで、「ソールとアッパーに適した革の入手が難しかった」のだが、程なくして見つかった。2つめはカネで、プライスポイントに合わせることができなかった。「この靴を作るのにかかるであろう価格が決まっていたが、その価格で作ることができなかった。Esquireにこの事を伝えたところ、Esquireの社長ができるだけ最善の価格で何とか作ってくれと言った」とJohn Bass氏はThe Lewiston Daily Sun誌に語った。Esquireが「Weejun」と造語したのだが、権利はBassに譲られた。

 次の段階はRogers Peetとのプロモーションだった。Esquireは「新しいスタイルの予告:ノルウェーのモカシン」と打ち出し、1936年の新商品を読者に約束した。アメリカでの目撃はパームビーチで、Esquireは「この靴の重大さは、社交界の人、裕福な人、スポーツマンといった洒落者の足元を飾ることで証明される」と書き、さらに「流行に敏感なアメリカのメーカーはこの靴のコピーにすぐ取り掛かる」とも書いている。

 全くの誇大広告だった。John Bass氏が、当社はWeejunプロジェクト遂行に特別やる気があったわけではない、と示唆したからだ。次に、Esquireは「流行の最先端にいたい人」のためにアメリカ製のコピーを入手できると読者に知らせた。

 Weejunのメリットは何か? Esquireによると、「革は丈夫だか柔らかく履き心地が良い。甲周りにストラップが縫い付けらており、一日中スリッパのように快適だが、スリッパではないので、来客が眉をひそめる心配をすることなく、家の周りで履いてもいい。歩行時はアキレス腱周りをしっかりホールドする巧みな構造のおかげで踵は抜けないが、非歩行時はリラックスできる」と。

 Esquireの役目が終わり、次はRogers PeetがWeejunを売る番だった。Weejunの最初の広告は1936年5月27日のThe New York Herald Tribune誌だった。Weejunのイラストとフロリダで目撃された3人の足元の写真を載せた。広告のコピーは「初めて見たのはパームビーチ!初めて売るのはRogers Peet!初出荷分は完売!」だった。Weejunは「元々はノルウェーの農民が作って履いた靴だが、今は、アメリカの洒落者がスポーツシューズとして履いている」とコピーに続けて説明している。・・・


(*1) AURLANDSKOEN AND THE TERM "NORWEGIAN" | Ask Andy FORUMS

(*2) Esquire's Encyclopedia of 20th Century Men's Fashions (1973)

By the mid-thirties, Norwegian-model shoes had been adopted by well-dressed Americans. Variations of the shoes made by hand by Norwegian fishermen during their off-season, they first became popular in London, where American tourists discovered them. Soon two variations were being seen at fashionable American winter resort: a slip-on style with a moccasin front that was called “Weejuns” and a laced style with a moccasin front that was known as the Norwegian-front shoe. The July, 1936, issue of Esquire showed Weejuns of brown polished calf and a pair of brown-and-white Norwegian shoes.(下線部のイラストを公開されている:ローファー その1 | You ain't heard nothin' yet!

(*3) Lewiston Daily Sun誌は、Google News Archiveに網羅的にアーカイブされているが、創業75周年のインタビュー記事はアーカイブから漏れているようだ。最後の段落以外の鉤括弧は全て、その記事からの引用と思われる。

(*4) Lakeland Ledger - Sep 8, 1986 | Google News ArchiveのWeejun50周年記事では、「Bassがノルウェー旅行中にWeejunの原型を発見した。Weejunという名は、Bassがモデルとして使ったノルウェーのモカシンを引き合いにした、“Norwegian Injun”を短くしたものである」と書かれており、EsquireとRogers Peetの関係は全く触れられていない。





 ロンドン旅行中にノルウェーの農民の靴を見つけたアメリカ人が、フロリダでその靴を履き、それを見たEsquireがBassに製造依頼して大ヒットした、という流れだが、ノーサンプトン博物館の元学芸員のJune Swannが、1936年の新作の靴を米国経由と紹介しているものだから、話がややこしくなる。

・・・60 Men's shoes, (a) One of a pair of tan leather slip-on casual shoes (the contemporary term was 'slipper') by Lotus Ltd, Northampton. Round toe, 3/4-inch stacked heel. Instep strap stitched over apron front. The 'Norwegian moccasin' (apron front) was new in 1936.・・・

・・・There were also casual slip-on shoes, frequently with apron front, derived from the 30s 'slipper' (fig. 60a), via the United States. Raymond Chandler's Playback, 1958, described one of the characters: 'He was California from the tips of his port-wine loafers to the buttoned and tieless brown and yellow check shirt' - though the name 'loafers' was unfamiliar in Britain as yet.・・・

Shoes - June Swann. 1600 - 1953

Shoes−The Costume Accessories Series (1982): June Swann | Huuto.net


Man's tan leather apron front shoe. 1936. Made by Lotus.

Tan Loafer, Lotus, 1936

Mecca & The Sole Brother (Part II): A Trip to Northampton (The Shoe Museum) | An Uptown Dandy


 ちなみに、当時の英国での用語は'slipper'だった、と書いている。ロブは今でも'slipper'と呼んでいる模様。また、apronではなくてlake。
lobb

Casuals | John Lobb Bootmaker

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 Spaulding family(1930年代当時Spaulding Fibre、現Spaulding Composites)がローファーと名付けて販売した、と。
ローファー - Wikipedia

ローファー - Wikipedia (最新版)


 上掲ウィキペディアの出典はリンク切れだが、アーカイブされている。

 リンク切れになったのは、blog.brooksbrothers.comからmagazine.brooksbrothers.comにサイトを移転したからなのだが、移転先にも同タイトルの記事はある。

 しかし改定版では、上掲ウィキペディアが引用した「Loafing Around the Farm」の項と脚注「(i)」は削除された。初版と改訂版をデュフフった↓。

difff

difff《デュフフ》


 このネタの初出は恐らく2003/11/21のウィキペディア英語版。2009年1月に「要出典」が付けられ、現在までネタ元不明である。
Slip-on shoe 20031121

Slip-on shoe - Wikipedia (2003/11/21版)


Slip-on shoe

Slip-on shoe - Wikipedia (最新版)


 BB以外の釣られた文筆家。
 製靴の話はSpauldingの社史には出てこないのでデマでしょう。

1930年代は靴用芯材を毎週100万個作っていた。

Spaulding Fibre Company

125 Years of Quality | Spaulding Composites


Spaulding Fibre - 310 Wheeler Street - Tonawanda | Facebook ←Spaulding Fibreの資料を多数収集されてて詳しい。1937年のカタログ18ページにまとめられた社史を公開されている。

1915 Ad for Spaulding's Fibre Counters

1915 Ad for Spaulding's Fibre Counters


 やっぱこれだね〜♪
Loafer 01 Loafer 02
Loafer 07 Loafer 03
Loafer 08 Loafer 10

VTG Nettleton Brown Full Strap Loafers NIB Never Worn 7.5 B | eBay


Nettleton Shoe Company In-Stock Catalog 1955 1 Nettleton Shoe Company In-Stock Catalog 1955 5
Nettleton Shoe Company In-Stock Catalog 1955 4 Nettleton Shoe Company In-Stock Catalog 1955 3

Nettleton Shoe Company In-Stock Catalog 1955 | eBay


US Registration Number 353854

US Registration Number 353854


freeandeasy

2014年9月号お詫びと訂正 | Free & Easy


 ちなみに、オンライン・エティモロジー・ディクショナリー(オンライン語源辞典)より。

loafer (名詞)
 怠け者、1830年、語源は不明、しばしば放浪者 land loper (1795) の変異形、または、ドイツ語 Landläufer からの部分借用翻訳語と見なされる。しかしオックスフォード英語辞典は、この関連を「あまり蓋然性は高くない」としている。靴の一種として、1937年。

loaf (動詞)
 1835年、アメリカ英語、loafer (1830) からの逆成語。

Online Etymology Dictionary

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